変化



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変わろうとしているのか?


変えようとしているのか?


昨今変化だの変革だの「変わる」と言う言葉が多い気がする。


良し悪しの評価には時間が必要な事は言うまでもない。


しかし、元来「生きるとは変化そのもの」だとすると 我々はありがたく変化を楽しむ方が理にかなっているのかもしれない。


人間社会のルール、規則、制度などは概ね「変化しない価値観」を読み込んで策定されているのではないのか? そうでないと無限の方向性を含む必要がある。つまり無理だと言うことになる。人口統計など数学的に読み込める変化はさほど難しくは無い(それとて予想外の展開はありうるが・・・・)。しかしその時々に移ろう価値観は読み込むことは不可能だろう・・・


つまり、「大まかに把握できる範囲において、何となく推定できる期間だけに通用するかも知れない変革」 を謳うのがせいぜいである。それ以外は「変化する"リスク"」と捉えていえるのか?


推理小説なら面白おかしく展開を予想したり、どんでん返しを楽しんだりする事も可能だろうが、現実の社会での変化は生活に直結する。 明るみに出てきた様々な不祥事や事件と同じように「その場を凌げば何とかなる・・」的な変革ではいずれ鍍金がはげてしまうだろう。


一昔前の常識は今日通用しない・・つまり いつかまた今の常識やルールが通用しなくなるときがくる。


政治とか 経営とか 教育とか・・・全ての領域において 我々は日々変化しているわけだ。


変化を避けて通れないなら「積極的に”固定”を捨てる」この方が自然だし、主体的である。


富の固定化、既得権、格差の固定化・・・これらの変化は自ずから崩壊という変化が起こるかもしれない・・・なぜなら、これらに固執する人たちは”捨てる”勇気を持ち合わせていないだろうから・・・


 


現状に感謝しつつ


現状に拘ることなく


現状を変化させる


 


このプロセスこそが創造!


変化という果実を味わおう!!